隷属への道

10章 下劣な奴隷と下劣な道徳

集産主義は高邁な理想から生まれたが、最低の道徳に帰着する。

集産主義は社会のほとんどの人々による賛同を支持基盤とするが、これらの人々は保障のために自由を放棄する下劣な人々である。彼らは知性が低い。知性が高い人間は多様な考えをもちまとまらないが、知性の低いものは1つの考えにまとまりやすい。

もう一つ集産主義の排他性を指摘するならば、集産主義の理想形は次のようになるはずである。それは集産主義が世界を支配した場合である。すると、イギリスの資本設備を取り上げて、インド人に分配するような非現実的な事を行わねばならない。つまり、集産主義は排他的なある程度狭いグループでしか実行不可能なのだ。

このような排他的な組織では、個人は能力ではなく、組織の一員である事によって評価される。そこに集うのは劣等感から組織に属し、属さないものに対して優越感を感じようという下劣な人間である。

こうして、権力こそが集産主義の目的となる。手段が目的と化す。

集産主義では善悪も崩壊する。法による統治下では理由を問わず法が善悪を決める。しかし集産主義では「組織のため」なら何をしても善なのだ。

  • 人質を銃殺しても
  • 老人や子供を殺しても
  • 子供を産ませるために女性を徴発することも
  • 国家のためになるのであれば集産主義にとっては全て善であり、そこに個人の良心や自由は存在しない。

優秀な人間はそのような組織のために滅私奉公すべきではない。

kitab
d.b