隷属への道
5章 無数の社会目標の共存
集産主義の本質は、社会目標を1つと考えることだ。ファシズムも共産主義も目指すところは違うが、1つの目標のために社会の全資源を組織化しようとする、すなわち全体主義である。
社会目標の統一見解を作らなければならないという理由はないし、むしろ、多数の目標を共存させることでしか最適化はなされない。
「そもそも無数の人々の無限の多様なニーズを完全に把握することは人間の能力では出来ない」
これこそが個人主義哲学の礎となる基本公理である。個人主義は人間に利己的であれとは命じない。社会は無限の可能性を許容すべきであり、単一の人為的な社会目標を設定することは諦めろと命じる。
集産主義は個人から目的を排除するために、国民所得の50%以上をそのコントロール下に置く。集産主義による計画経済は、多数決で決められたものではないから、少数派の意見が国民全体に強制されその目的のために国民所得の大半が使われることがよくある。それをスムーズに行うために、集産主義は独裁制をとることが多い。
考察
国民所得の50%以上が政府のコントロール下にあることは、全体主義であることの必要条件である。 だから、スウェーデンや日本といった国家が、即全体主義であるとは言えない。
人間が把握できない多数の目標の共存は、哲学者レヴィナスが「無限」や「他者」という言葉で表した概念である。 レヴィナスは、「無限の存在」こそが個人にとっての「希望」であると説いた。 要は、個人主義こそが無限の意見の共存を可能にし、個人の想像を超えた自由をもたらしてくれると言う考えである。
レヴィナスの哲学については以下にまとめた。→レヴィナスの哲学