読書について
§1 思索と読書
知識のうち価値あるものは、自らの思索によって産み出した知識だけである。
思索によって知識を産み出すことは、読書や学習によって知識を摂取することとは決定的に異なる。何かを「本当に知る」には、思索を通して、自分の中のあらゆる知識と比較検討し、結合させる必要がある。だから、受動的な読書や学習では「本当に知る」ことは出来ない。
読書は誰にでも出来ることだが、思索は誰にでもできることではない。 とくに客観的な真理についての思索は、天才以外には不可能である。
知識のうち価値あるものは、自らの思索によって産み出した知識だけである。
思索によって知識を産み出すことは、読書や学習によって知識を摂取することとは決定的に異なる。何かを「本当に知る」には、思索を通して、自分の中のあらゆる知識と比較検討し、結合させる必要がある。だから、受動的な読書や学習では「本当に知る」ことは出来ない。
読書は誰にでも出来ることだが、思索は誰にでもできることではない。 とくに客観的な真理についての思索は、天才以外には不可能である。