1章 プロレスラー・力道山
テレビに出て狂い自分を見失った力道山。シリコンバレーパロアルトでベンシャープは彼について語った。
【要約】欲望のメディア【猪瀬直樹】
第1章 遠視鏡の夢 ※高柳が主人公です
ヒトラーと力道山は似ている、テレビに出まくった点で。彼らはテレビ映えするのだ。彼は宣伝を全て大衆的に、最低限の知能水準に保つよう心掛けた。空手チョップだ。
特に1936年、ドイツオリンピックのヒトラーによる演出は見事だった。このときゲッペルスはテレビによる大衆洗脳を発明しかけていた。1936年の金メダリスト葉室は間近でヒトラーを目撃し、「神様のようだった」といった。
どういうわけか、1887年の時点で、フランスのロビダという小説家がお茶の間テレビ文化の到来を予言していた。エジソンが映画を発明したのは1896年だったのに。
ドイツオリンピックの10年前、ドイツではまだテレビが発明される前で、ゲッペルスはドイツ映画界を支配し、監督たちを手駒に育てていった。
しかし日本では密かに、高柳健次郎が1926年にブラウン管型テレビを発明した。東京電気(のちの東芝)との共同制作であった。1930年、浜松高等工業で助教授をしていた高柳のテレビを天皇が見に来た。天皇は終始無言だったが、高柳の電視法解説をうなずきながら理解した。天皇は、皇太子時代に、ヨーロッパ視察で自らフィルムを回したほどの知識興味レベルだったのだ。
同時にプロジェクター型テレビを開発していた高柳のライバル川原田は、2000人を集め公開実験を行なった。サイズは1.5メートル四方。だが後に電子式に駆逐される。
しかし、1927年、ベアードがロンドンで放送したテレビ放送を、ニューヨークで受信することにすでに成功していた。さらに1933年ツヴォルキンが電子式テレビを発明し、これが1936年のヒトラーに採用された。
世界レベルでは完全に置いていかれていたのだ。そんな中、日産総帥、鮎川義介が高柳を訪ねた。しかし1940年の東京オリンピックを見据えた鮎川の野望は実現しなかった。1911年キャピタルゲイン課税がなされ、資金力を削がれてしまったのだった。さらに東京オリンピックは日中戦争の影響で中止になった。
オリンピック後もヒトラーは洗脳に戦争にテレビを使い倒した。会談でゲーリングは化粧をしていたことがあった。テレビ出演の直後だったのだ。
満州国開発を進めていた鮎川はヒトラーとの30分会談に成功したが、政治を経済の上に置くヒトラーに一蹴された。それどころか、テレビに出まくっていたヒトラーは「再現には500年かかる」至高の政治形態としての天皇制を活用するようアドバイスした。
しかし現実には天皇はテレビどころかラジオに登場することさえなく、日本のテレビ開発の意義は減じた。1942年、ラジオの普及率が50%に達するとテレビ開発は中止、高柳は飛行機用カメラの開発に回された。
結果論だが、日本はレーダーとテレビの開発に失敗して戦争に負けた。レーダーもテレビも原理はオシロスコープである。日本海軍は精神論で、レーダーを使わず肉眼で敵艦を発見する訓練を繰り返した。つまり、日本軍にはあまりに科学が欠けていたのである。シンガーポール占領時にイギリス軍の八木アンテナを発見したにも関わらず、日本人の発明であることに気付かず構造解析できなかったという逸話まで残っている。
(※「失敗の本質」でも、この手の逸話が膨大に紹介されている)
業を煮やしたヒトラーはレーダー技師フォダスを日本に送り込んだが、日本のレーダーが完成したのは1945年6月だった。フォダスはGHQに捕まった。晩年フォダスは、あの原始的な国の技術がここまで進化したのは信じられないと語った。
高柳は電磁波で飛行機を撃ち落とす夢想的な兵器の開発に回された。実験を重ね、漸く10メートル先の兎に腹痛を起こさせることに成功した。日本は敗戦した。
第1章 完 第2章 アメリカ につづく