欲望のメディア

2章 読売新聞・正力

【要約】欲望のメディア【猪瀬直樹】

第2章 アメリカ ※正力が主人公です

【日本でテレビが赤狩りによって推進され、大衆により娯楽化するまで】

マッカーサーは常に英雄としての演技をしていた。天皇の代わりの国家元首として日本国民に認められるために。マッカーサーにはヒトラーと同様の官能性があり、日本女性のファンレターを膨大に受け取った。マッカーサーは、自分のところに天皇を訪問させたりして国家元首像を徹底した。

逆に天皇の肉声はラジオで流れるようになり、その甲高い声と口下手さにより、御真影の権威を失墜させていった。ヒトラーは演説で女性を失神させたり、マッカーサーにも女性のファンが多くついたが、天皇に女性人気は無かった。

同様に治安維持法が撤廃され共産主義者がテレビに映るようにはなったが、大衆心理を理解していない共産主義者達はテレビ映えしなかった。

テレビの技術開発は高柳とNHKの後退、GHQの政策によりハード面ではストップした。代わりにソフト面で、ラジオ番組が大衆受けするものへと進化して行く。初めての庶民的な番組はのど自慢。なんと敗戦翌年の1月から始まった。全国的なのど自慢ブームは、カラオケ流行の下地となった。非公認大会が各地で催された。

美空ひばりが9歳の時のど自慢の予選で落ちたと言うのは嘘で、後から作られたストーリーだった。戦後の大衆はスターを求めていたのだ。テレビに出る人はまだまだ少なく、席が空いていたため、彼女をはじめ、素人がスターになることが少なくなかった。歌の新聞もそうした番組だった。

ハード面に戻ると、アメリカでは1949年既に50局のテレビ局があり、生産台数は年間416万台で、日本を突き放していた。

高柳のテレビ開発は再開していたがいまだGHQに妨害されていた。戦犯容疑で服役していた鮎川は出所すると、皆川という人からテレビ事業を持ちかけられた。鮎川は読売新聞社主の正力を指名し、日本テレビを作らせた。実は鮎川と正力は、巣鴨刑務所の独房がご近所さんだったのだ。初めはGHQは正力を公職追放の観点から認めなかったが、正力には興行の才能があり、赤狩りの推進者ムントという協力者を得て、ついに日本テレビを設立した。アメリカは、日本を同盟国に教育するためにテレビを支援したのである。そして実は正力は特高警察の警察官僚出身で、赤狩りを主導していたのだ。さらに正力は貴族院に探偵能力を贈賄し、権力を掴んでいった。

正力は資金繰りのため、池田勇人を動かした。池田が財界を動かし、ムントたちとの座談会が実現した。高柳もそこに呼ばれたのである。正力は八木アンテナの発明者八木博士を味方につけNHKおよび高柳と戦った。八木は大阪帝大総長であったため、公職追放にあい、貧困のどん底に落ちていたのだ。高柳は八木に負け、テレビの電波帯はアメリカの白黒テレビに合わせられたため、カラー放送は出来なかった。しかし負けた高柳は時間稼ぎをし、研究を猛追させ、NHKは開局一番乗りを果たしたのであった。しかし、高柳の機器は画質が悪くすぐにアメリカ製に取って代わられた。

19530年、テレビ放送が開始した。朝鮮戦争の最中だった。

テレビを洗脳装置として利用しようとしたヒトラーとアメリカにとって誤算だったのは、テレビが娯楽番組一色になってしまったことだった。

第3章 日本式ネットワーク 力道山と田中角栄 につづく

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